みなさんどーもこんにちは!!!
世界に響け、幸せの湯切りサウンドこと 湯切りんです。
いよいよ待ちにまったこの日がやって参りました。
2021.11.12.Fri.
なにわ男子CDデビュー
おめでとう。本当におめでとう。
一生に一度しかないデビューの瞬間。
そう思うとなんだか記録しときたくなっちゃった。
この機会に今から少しだけ私がなにわ男子に出会ってから沼落ちした経過も振り返りたいと思います。
※以下の文章に関ジャニ∞の色々あった当時のことも含みます。苦手な方はUターンしてください。
気がついたら1万字近くの超大作になってしまったのでもはや卒論か?ってかんじやけど、お付き合いいただけるオタクは宜しくお願いしますね。笑
「Jrには絶対にハマらない」
長い長いジャニオタ人生を送ってきたがこの言葉は何度言ってきたのだろう。
正直Jrにはハマらないというか、ハマっちゃいけないと自分の中で線引きをしていたのかもしれない。
小学3年生の時に親の影響もあり嵐に沼落ちし、中学1年生になると関ジャニ∞の沼に自ら身を投げた私。
私の人生を語るにはジャニーズは絶対外せないという中、Jrいう存在は大学生になるまで意識すらしてへんかった。
特に関ジャニ∞のバックにつくのはeighterおなじみ「たこやきぃぃぃいいいい〜ダンサー〜!」(CV村上信五)が多いので、他のグループの担当さんよりかはJrという存在が当時は遠かったのかもしれない。
※今は横倉がプロデューサーとして関わっているので縦の繋がりが凄く明確化しているが、私のeighter全盛期はジャニ勉のコーナーくらいやった気がする(めちゃくちゃ肌感)(そうやなかったら私が推ししか見えてへんかっただけ)
2018年11月18日。
そんなJrとはほとんど関わりのなかった私に転機が訪れる。
「関西に4年ぶりに新しいグループができました。
Let's go!なにわ男子!」
そう、これが私がなにわ男子と初めて出会った瞬間。
関ジャニ∞ LIVE TOUR GR8EST 追加公演2日目。京セラドームでのことである。
※台風の影響で大阪初日公演が11.17に振替。そのついでに追加公演が決まり計2公演のうちの最終日にご縁があって入らせていただいた。
あの光景は二度と忘れないと思う。
全員の名前と顔が映し出されたモニター。
なにわLucky boy!!を楽しそうに歌う7人の姿。
その頃は誰が所属しているとか、どういう経緯で結成されたとか、何もかも知らなかった私ではあったが、ただただステージに立つ「なにわ男子」というキラキラアイドルに惹かれた。
それだけだった。
ここから少し関ジャニ∞さんの話に戻る。
知っている人は知っていると思うが、2018年のあの時は私自身人生で経験したことのない"メンバーの脱退"によりeighterとして私は情緒不安定であった。
大学でeighterを公表していた私は「すばるくん抜けるんやろ?大丈夫?」と友達からの少し興味本位のあるようで取り繕ったような心配の声掛けに対して嘘笑いで「大丈夫だよ、ありがとう」と応えるのが本当にしんどかった時期もあった。今思うと凄く険しい顔してたと思うし、きっと笑えてなかったよね。ごめんなさい。
でもそのくらい私にとって関ジャニ∞という存在はでっかかったんやと思う。
やからこそすぐにすばるくんがいない世界を、8月のGR8TEST大阪公演に入っても、何度かテレビや雑誌で彼ら6人の姿を見ても、私はまだ受け入れることができてへんかった。
「すばるくんのいた過去はどうなるん?」
「すばるくんのパートはどうなるん?」
「もう7人のエイトは見られへんの?」
「6人のエイトを今後応援できるんかな?」
本当に数ヶ月間は色んな思いが巡りに巡って、涙を流した記憶しかない。
もうこんな苦しい思いはしたくないよ、って何回思ったんやろうね。
だからそのような時に突如出会ったなにわ男子という存在は、本当に私の中で何か革命が起きた感じであった。
なんだか凄く感覚的なんやけど、「おいでよ、こっちもあるよ」って救いの手がふっときた感じ。
「なにわ男子、推そうかな?」そうふと何回思ったことか。
でもなかなかJrを推すという勇気が出なかった。
というのも正直、Jr担になるのは怖かったから、デビュー組しか推したことなくて、どうしたらいいか分からへんかったからやと思う。
Jr担は大変っていうのは昔から知っていた。いつデビューできるか、いつまで続けてくれるか分からないそんな世界だよって。
エイトのこともあり、デビューしてからもいつまで推しがジャニーズでいてくれるのか、アイドル人生を続けてくれるのか分からない世界やということを目の当たりにした私にとってそのハードルを越えることはなかなか躊躇うものがあったんやと思う。
そしてコンサートが終わってからの数日間、やはりなにわ男子の存在が気になってエゴサをしていた私に「なにわ男子のブログで今回の関ジャニツアーについて感想が書かれています」との情報が入る。
なるほど、Jrもブログがあるんだ。
そして日刊なにわ男子を読み漁るようになってその世界の厳しさを知った。
あの子たちはこのステージというチャンスを噛みしめていたんやなということを。
「いつか絶対、なにわ男子の力でここに戻る」
そうやって誰かが言っていた言葉に少し泣きそうになったこと、今でも覚えている。
でもしばらくして6人体制で頑張るエイトさんを見て、結局それどころではなくなりなにわ男子の存在も忘れたかのようにそのまま時が流れた。
やから、あの頃関ジュが色々あったとかも全く知らないまま年を越し、春を迎えた。
2019年3月。
地上波なにわ男子の初冠番組「NANIWA NANDEMO」決定。
なぜか分からないが「これは絶対見なあかん」という衝動に駆られた。
録画までしっかりしてメンバーの名前と顔がまだ少ししか一致してへんかった私は何度も見た。
※西畑くんと流星くんはジャニ勉で何度か見ていたのでGR8TESTでお会いした時から「あっ名前も顔も知ってる」と把握していたものの、他の5人はほとんど知らない所からのスタートで見分けるのも大変やった。
今思うと「覚えるぞー!」と意気込んでる時点で自ら沼に身を投げ出してるやん!と言いたい。
2019年4月。
道長「俺のスカートどこいった?」出演決定。
キャストにて毎週水曜日なにわの仕事を学びまshowコーナー出演決定。
もう完全に私はなにわ男子を追いかけるようになってしまった。
授業中に「あかん、ダイスマ見んと発作が起きる」とか言うて見てたらオタクのリア友よるに「なに見てんねん(笑)」ってストーリーに載せられたこともある。そのくらい突然私の中でなにわ男子という存在が大きくなって、Jr担にならへんなんていう発言どこいったんや?というくらいハマっていた。
2019年、5月。
ISLAND festival
Snow Man・Travis Japan・なにわ男子
私はJrのコンサートがあることをここで知る。
(どんだけJr興味なかってん!)
同時にFCに入っていなかったことをとても後悔した。
でもこの2日間は丁度学祭が被ってしまい物理的に行くことは不可能であったのであっさり諦めることができた。
※軽音部で自分のステージがあったため抜け出すことはもはや100%不可能やった
ただ配信は優しいお友達にお裾分けしていただき、しっかり見た。
キラキラするなにわ男子が眩しくて早く会いたいと思った。この時は担当が特に決まってへんくて「うーん好きなのは長尾くん?」くらいであったが全員キラキラしててかっこよくて、なにわ男子が好きになった。
ちなみに私がSnow Manにハマるのはこの1ヶ月後の話である。
※余談ではあるがリア友のきいちゃんがストーリーでISLAND festivalの様子を挙げていたので反応してお互い「Jr好きなん?!」というやりとりをした。その時きいちゃんからは「Snow Man好きやねん!」と返ってきたので私は「そうなん!私はなにわ男子好きやねん!」とのやりとりをした記憶がある。その時Snow Man好きなんて他人事かのように返してた私。ちゃっかり1ヶ月後にスノにハマりました報告してた。おもろすぎるやろ。覚えてるかなきいちゃん笑笑。
2019年6月。
夏松竹「少年たち」、なにわ男子座長決定。
なにわ男子に会うためにFC入るならもうここしかない!と思った。すぐ入った。
年会費2500円やった。
ほんまにその値段設定でええんか?
当時情報局動画コンテンツがあり、沢山の動画を見れた。コンサートダイジェストからメッセージ動画まで様々。
なんやこれ、Jrのコンテンツ豊富すぎるやろ。どないなってんねん。はよ入ればよかったわ。心の底から後悔した。
そして夏松竹は初めて作った自名義は全部外れてしまったが(そらそうや)、奇跡的にエイトのコンサート毎年一緒に行っていた友達が当ててくれたので夏松竹でもう一度なにわ男子に会えることになった。
※余談ではあるが6月下旬、リア友のスノ担よるに「これ見てみぃ」とSnow Manの人狼動画を勧められ軽い気持ちで見たら深澤辰哉さんという名のリア恋の沼にあっさり完全におちた。早かった。あんだけJr担躊躇ってたあの時間なんやってん。ゆるゆるやないか。使い古したパンツのゴムか。それはちゃうか。何の話やねん。
2019年7月。
湯切りんTwitter開設。
いやわざわざ太文字で訴えるなよって感じやねんけど、私のオタク人生が変わった起点でもあるので記しておきたいねん。許してクレメンス。
eighterの頃は閲覧垢やったのもありTwitterをほぼ見てへんかったようなもんやったんやけど、とうとうJrのお友達が欲しくて新しい境地を開拓しにいった。
#Jr担と繋がりたい
出ましたあるあるのタグ。分からなすぎてとりあえずタグで友達を作ってみようと思った。
インターネットは便利な世界や、すぐJr担と繋がった。
これを機に沢山の愉快で大好きなフォロワーに囲まれながらのオタ生活第2章が幕を開けた。
まさかフォロワーと遊びに行ったり連番したりする日が来るなんて思ってもいなかった。フォロワーはもはやリア友。みんなありがとう。
思い切って作って正解でした。作らへん!とか頑なに意地張ってた私、蹴飛ばしてやりたいです。
ちなみにリア友2人に垢バレしたことは一生のネタやけどな。(インスタ交換したらリア友やったりんきい、プチバズりしたツイートがリア友のTLに流れてしまい繋がったりんよる)
2019年8月。
映画少年たち追悼上映決定。
夏松竹「少年たち」。
エキスポとなにわ男子がコラボ。
リア友よるに誘われて映画少年たちを見に行った。この時にアクスタ絶対あった方がよかった文化を知る。
※アクスタはよ注文しいや!とオタク友達に言われなにわ(長尾くん・はっすん)とすの(深澤さん・しょっぴーさん)を発注していたものの見事に間に合わへんかった
沢山のオタクが映画館でアクスタを出して写真を撮っていた。
なんやそれ、私もやりたかった
仕方なく私は持ってきた深澤さんのサマパラうちわをよるのアクスタの横に添えてしれっと写真を撮る文化に混ざった。
よるに「何持ってきてんねん笑」とツッコまれた。そらそうや。オタクとオタクとして遊ぶのは初めてで動揺しまくりの私やったと思う。色々教えてくれたよる先輩サンキュー。
そして待ちに待った夏松竹「少年たち」。
なにわ男子の演技に引き込まれ、show timeでテンションぶち上がり、もう私としては歓喜歓喜歓喜オブザイヤーってかんじやった。いや語彙力どこ置いてきてん。
ドームでは少し距離があって野鳥の会しまくってた私であったが、松竹となると凄く近くて感動した。
いや顔すぐそこやん。
当時の私のインスタには「長尾くんの茶髪最高やった」と記してある。やはりとりあえず箱推しではあるが長尾担として生きてたらしい。
夏松竹でなにわ男子に会い、もう完全に沼落ちを認め、「絶対デビュー見届けたるねん」とJr担の人格が完全に出来上がった瞬間であった。
ちなみにりとるちゃんの存在を知り気にかけるようになったのはこの夏松竹がきっかけである。そんなりとるちゃんも推しに変わるのは数ヶ月後の話である。
2019年10月。
なにわ男子 GoGoエキスポ中止。
今度はなにわ男子が屋外コンサートをする時に台風が来るとなり公演が中止になった。
前回は台風のおかげでなにわ男子に会うことができたが、次は台風のせいで会うことができなくなった。
なんでやねん
天候には逆らうことができず、またなにわ男子に会うことができると思っていた私はどん底に落ちていった気分であった。
しかし掛け持ち先のSnow Manがデビュー直前プロモ期間のようなものにこの時期あたりから突入し、なんとかオタクとして生きることはできた。
しかしなにわ男子の人気は自分が思っていた以上にすさまじいものであり、現実に直面する。
アオハルツアー全滅
なんかもう言葉にできない虚無感に襲われた記憶がある。
チケットを探して死に物狂いで入っておけば良かったなと今では思うが、「またすぐ会えるし」と呑気に全然考えていないオタクであったため何もせずにそのまま時が過ぎてしまった。
この期間は電車の中でなにふぁむに出会いガン飛ばした記憶しかない。なにやってんねん。
とりあえずオンライン配信は見た。大西畑の猫中毒は生で見たかった。2人まとめてお持ち帰りしたい人生だった。
2020年1月。
HAPPY NEW YEAR(ドヤ顔)(CV藤原丈一郎)
年明け関ジュといえば、そう
あけおめコン
なんとこの年は関ジュ初めての京セラドームでの3日間。
死んでいた所をフォロワーに拾ってもらい初日参戦、突然自名義が復活して2日目参戦の2日間もありがたいことに入らせていただいた。
ここでなにふぁむとしての転機が訪れる。
それは2日目公演のできごと。
1日目入り終わってから何となく自分の異変には気付いていた。
「あれ・・・長尾担のはずがずっと西畑大吾さんを目で追っている気がする」
まあそんな異変に気付いてた私、素直に2日目西畑くんのうちわを買い足した。
オタクってちょーー正直ぃぃぃぃいいい!!
今やから言える。あの時の俺、よくやった!!!!
そして迎えた2日目の公演。
自分でもまじかよと思ったんやけど、そんなまさかの出来事が起こる。
2公演目の扉が閉まる直前にボロっと涙を流して微笑んだ西畑大吾さんに完全に沼落ち
私は本当にあの涙と笑顔は二度と忘れないと思う。
コンサート自体の記憶はそんなにないが、ここだけ鮮明に覚えている。
すっごく綺麗だった。
これを見たとき、「あぁ、人ってこんなにも綺麗なんだ」と感じて時が止まった気がした。
これを書きながらスマホのカメラロールを見ているのだが、以前からなんとなくいつかは西畑担になる気がしていたんだと思う。なんやかんやで西畑くんの写真が沢山ある。なんでやねん。
そもそもなんていったって元二宮担、落ちないわけがない。
しかし「いや私は長尾担やし」となぜか意地を張り続けていた。
そう思うとこの涙と笑顔がとうとう沼落ちを認めるきっかけになったのかもしれない。
そして私はとうとうなにわ男子の西畑担となり、関西ジャニーズJr.という存在から目を離せなくなってしまった。
(公演後 湯切りんInstagramより)
初めての単独ドーム。すっごく楽しそうな関ジュちゃん。みーーんな応援したくなった。というか応援しちゃうよね。これからも。
まさに「あーーー!だめーーー!好きになっちゃうーーー!」のシソンヌ状態。
もう完全に関ジュ担として生きていく人生がここで決定した。
「よっしゃあ!関ジュの現場全部いったるでぇ〜!春松竹楽しみや〜!」
なんて言ってたらアイツがやってくる。
そう、
世界的大災害・COVID-19大流行
最初はなんとかなると思ってた。
感染症なんてすぐ終わる、少し我慢したら普段の日常が取り戻せる。だから少しの我慢だよね、なんて思ってた。
けど日に日に感染拡大は収まらずイベントは軒並み中止。
緊急事態宣言に伴い自宅自粛。
"当たり前"だと思ってた日常が一気に奪われ、嘘みたいに日常が暗くなった。
エンタメを楽しみに生きてたThe オタクみたいな人生しか歩んで来なかった私は絶望の嵐であった。
でもなにわちゃんたちは企画を沢山考えてくれて、動画を定期的に出してくれた。
もうそれだけが楽しみであった。
その動画の中で西畑くんが言っていた中で凄く印象深い言葉がある。
「我々ができることは皆さんにこうやって動画を届けることです。少しでもこの動画を見て笑顔になってくれたらいいなって思います。」
この言葉を聞いた時、思わず涙ぐんだ記憶がある。私にはこうやって真っ暗で先の見えない中でも楽しませてくれるアイドルがいるんだ。西畑くんに出会えて本当に良かった。そう思った。
2020年はそんな怒涛の中、ドリアイというオンライン配信祭りが行われた。関西ジャニーズが大集合する728の日をはじめとして、それぞれの単独コンサートが行われた。
なんやかんや2020夏は楽しかったけど、会いたい思いが募りまくって死ぬかと思った。
そして時は流れて2021年7月28日。
#なにわ男子しか勝たん 通称勝たんコンでサプライズデビュー発表。
あの時のみんなが涙ぐんで肩組んでたあの光景、私はYouTubeという画面上でしか見れへんかったけど絶対忘れないと思う。
なにわりとる担の私は色々感情を整理できひんくてその時は泣いちゃったし、SNSで色んなこと言われて傷付いて素直に喜ぶことに時間がかかってしまったけど、「普通なら悔しいって思うと思うんですけど、素直におめでとうって思って泣いていました。」って涙ぐみながらも笑顔で話すニシタクちゃんを見て、やっと安心したのか「おめでとう」ってまた泣きました。
ここまで来るのにすっごく大変やったこと、分かってたつもりやったけどその当時ちゃんと追いかけてたわけではなかったからアマプラで配信されているnaturalを見てすっごく胸が苦しくなってやっとデビューを掴んだ7人に胸が熱くなってほんまに良かったなぁって思いました。
きっとなにわ男子に出会えてなかったら、今の愉快なオタク仲間にも、関西ジャニーズJrというあったかくて面白くて愛くるしくて応援したくなっちゃうみんなのことも、気が付いたら生活の大半を占めるようになったSnow Manにも出会えてなかったと思います。
そう思うと本当にあの時私をなにわ男子に会わせてくれた大倉プロデューサーには頭が上がりません。
本当に人生は偶然の連続で本当にこの出会いは運命やったんやなぁって思います。
何よりもやっぱり関西ジャニーズという大家族が大好きで、東京Jrのみんなに「羨ましい!」って言われるくらい縦の繋がりがすごくてあったかくて大家族みたいで。
関西のあったかさが大好きで関ジュ担してるのもあるんやろうなぁって思いました。
なにわ男子を好きになってへんかったら、きっと個人うちわやグッズのありがたさとか、ツアー決まる嬉しさとか、YouTubeチャンネルや冠番組がある幸せとか、早朝セブイレチャレンジ・みんなで朝の5時前から助け合ったアクスタ戦争・Jr大賞で嘆いたあの日とか、デビューまでの苦しさとかオリ曲もらえたドキドキとか、何もかも知らんまま生きてたんかなぁ。
知らんくても生きていけることやけど、今まで"当たり前"やと思ってたオタク人生がガラッと変わって、少しのことでも「嬉しい」「楽しい」って思ったり、時に「しんどい」「悔しい」って思うこともなかったと思う。でも振り返れば圧倒的に「楽しい」「幸せ」と思うことが多くて、なにわ男子を好きになってほんまに良かったなぁと思います。
みっちーが作詞してくれたTime Viewの歌詞で特に大好きな歌詞があります。
今までもずっと、この先もずっと
何気ない日々を過ごせるように
不安が募って 壊れそうになっても
横を見れば 君がいるから
オンライン配信のアオハルではっすんが「横を見れば君がいるから」と歌った時はメンバー全員前を向いていてはっすんだけ横を向いてるっていう光景やったけど、いつからかみんなはっすんの方を見てニコって笑うようになりました。
はっすんすっごく嬉しそうな顔してて、なんだかこれがもうグッときました。
いつか西畑くんも言っていた、「隣を見ればメンバーがいる。ひとりじゃない、頼ればいい。」って言葉もあったように、なにわ男子のみんなには嬉しい時に共に喜べる仲間だけやなくて、辛い時・苦しい時助け合える仲間がいるんだなって実感して沢山泣きました。
ずっと7人で笑っていてね。
たまにはなにふぁむも頼ってくれたら嬉しいです。
最後に西畑くんへ。
3回生の実習オンパレードで一人暮らし期間は寂しくて死にそうになってた時とか苦しくて逃げたくなってた日曜の夜にあったとれ関が私の心の救いでした。
次の日からまた行きたくないよって嘆いて苦しくて大嫌いやった日曜の夜を楽しみに変えてくれたのは紛れもなく西畑くんです。
何気ない報告、関ジュのみんなと楽しそうに話す声、甘いおやすみにあたったら拗ねまくる所、最後はちゃんと甘すぎるおやすみでデロデロに溶かしてくるところ。
西畑くんのおかげといっても過言ではないくらい、そのおかげでなんとか実習休むことなく行って乗り越えれました。
西畑くんのとれ関は終わってしまったけど、ラジオの楽しさを知ったり、「素を出せる場所やった」と嬉しそうに話している姿を見て、良かったなぁ嬉しいなぁと思ったのを今でも覚えています。
ほんまにありがとう。
とても涙脆くて、人懐っこくて、ファン思いで、責任感がある関ジュのセンターを担ってきた西畑くん。
関ジュの西畑くん、10年間お疲れ様でした。
西畑くんが2020/8/4に綴ってくれた日誌で凄く嬉しかった言葉があります。
1日ごとに変わっていく世界になっています。
その中で今をどう生きるか。
毎日考えております。
答えに正解も不正解もない哲学。
でも、考えた末に出た自分なりの答え。
アイドルでよかった。
関西ジャニーズって最高で最強だ。
先の見えないご時世の中で「アイドルでよかった」と思ってくれた西畑くんの言葉にとても涙を流しました。
私はそんな西畑くんを好きになれて本当に良かったなって思います。
アイドルを選んでくれて、続けてくれてありがとう。
動画でもブログでも色んな媒体を通して沢山の愛を届けてくれる西畑くんは私の自慢の自担です。
少しでも西畑担ですって名乗れるくらいになれたかな?そうだといいな。
これからは沢山知らない世界が広がっているかもしれないけど、一緒に素敵な景色を見に行こうね。
これからも沢山応援させてください。
出会えて良かった。
西畑担になれて良かった。
大好きです。
なにわ男子、デビューおめでとう!!!!!!!!
デビューを見届けられて幸せです。
永遠に煌めけ。
2021.11.12.𝖥𝗋𝗂.